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経営者がなぜ必要なのか

広義にいえば人工物も自然という大きなバイオスフィアの中の営みですが、狭義に考えるのならば自然と人工には大きな相違があります。自然はいわばシステムそのものであり、その設計者の存在が読み取れないほどに緻密かつ広大です。一方で、人工物ははっきりと設計した人間の意図が読み取れます。デザインの源泉は意図です。意図は機能として可視化され、情報となって私たちの理解を引き出します。モノというわかりやすい形状から、企業や国家という複雑な仕組みにいたるまですべてが共通です。

可視化された情報が見た人の心に響くようデザインされた企業やブランド、製品は、人間の意図の宝庫です。当然、丁寧に活用すれば企業のもつ新しい可能性をつくることに繋がります。デザインするためには、実体を正確に把握し、価値をすくい上げ、正しい方法と方向を定めることができるかが重要であり必要不可欠です。企業やブランドが何を目的としてどのような意思で存在しているのか、今までどんなトライがあって改善があったのか、何が強みで進化すべき箇所はないのか、それらすべてをできる限り把握しかつ理解することが、企業価値や製品価値を高める基本的かつ最強の方法だと言えます。逆にこれらのプロセスを軽んじれば、結果的にそのデザインは様々な価値を損ねるための諸刃の剣となります。

したがって、経営者の存在は極めて重要です。「意図」が総意として生まれるケースはまれで、多くは人格が主体となります。人格は、社会知となっている事象をベースに意図をデザインしていきます。その点において「意図」は総意から生まれるのだという解釈は可能ですが、結果的にそれをアウトプットするのは一つの人格であることに変わりはありません。社会において、法人格、個人格双方の意思決定者は唯一経営者しかいません。企業や製品の意図を意思決定する存在であり、審判者でもあります。この意思決定の精度が甘かったり曖昧だったりすれば、ステークホルダー全体に伝わる「意図」がぼやけることになってしまいます。こうなると、デザインが機能不全に陥りやすい環境が生まれていくことになります。

この点において、経営者は広義の意味でのデザイナーといって差し支えないでしょう。ちなみに、経営者のことを「ディレクター」という英語で表現することがあります。意思決定を行う人間という意味合いでしょうか。経営という言葉を辞書で引くと「事業目的を達成するために、継続的・計画的に意思決定を行って実行に移し、事業を管理・遂行すること」と書かれていますが、噛み砕いて言えば「物事を良い方向に進めるために何をすべきか考え、実行する」ということになります。法人のリソースを用いて、社会的な情報を読み解き、行動としてアクションしていく。この一連のマネジメントデザインのプロフェッショナル、それが経営者であると考えることは可能だと思っています。

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