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災害コミュニケーション

熱波、熱帯、ゲリラ、激甚、超大型、猛烈、混乱、停止。強い言葉がこれだけ続いても、お腹がいっぱいになった上に慣れてしまうのがヒトってやつですが、実際にやってくる災害規模が言葉を凌駕してくるという現実。立派に異常時代です。
311を思い出します。仮にあの津波の後でも、福島の原発が毅然とした態度で何の支障もなくあそこに建ち続けていたら、我々は原発について疑問のひとつも持たなかったばかりか、自然災害に対する畏怖を現在のように感じることはなかったのかもしれません。しかし、事実として我々に突きつけられているのは、年々、自然災害の規模は大きく広範囲になるということだけ。天災とは、かつて人類が抗いようのない自然災害に対して名付け、そこに神の姿を描いた事象。都市も科学も発達し続ける社会において、より強さを増し現れる”天災”に、いよいよ新しい神話の世界に放り出されたかのような感覚すら覚えます。これまでに神話レベル(震度10とか、高さ50mの大津波とか)の万難に対する抵抗力を備えた原発を建てる計画がなかったかといえば、そうではなかったでしょう。むしろ、かなりの数が存在していたのではないでしょう。しかし万が一にもありえないようなことに対する巨額の投資を、利害関係者が根っこの部分から理解できるとは思えません。現実的なライン(それでも十分に神話レベルだと思いますが)での妥結が行われた結果が、現在の原発の姿であるはず。

ビル・ゲイツ氏は、地球温暖化のリスクを考えた時、原子力発電の増加が好ましいと考えていることを表明しています。実際、この数年の台風による災害を考えた時、環境問題はすでにレッドラインを超えたことを私たちは認めざるをえません。九州、広島、京都、大阪、千葉、次々に起こる災害は、常に想定外ばかりです。2018年の日本において、損保関係企業が災害関係で支払った保険金は過去最高であり、1兆6000億円を超えました。今後、これが小さくなることはあるのでしょうか。社会において、重要な役割を果たしている機関投資家である保険会社が、保障にだけ回らざるをえなくなった時に失うソーシャルパワーがどのくらいなのか、我々には見当もつきません。あらゆる面において、原発の脅威よりも地球温暖化が生み出す自然災害の脅威が増していると考えるのならば、膨大な温暖化ガスを生み出すとされる化石燃料から電力を得る方法よりも、原子力の方が相対的なリスクが下回るという可能性はもはや否定できません。現在使われている原発の多くが設立から40年程度経過することを考えれば、現代技術で作られる原発の新しい姿は、当然より安全で高性能になると想像できます。数十年前と比較して、圧倒的に安全な原子力発電の設計/製造ができるようになっているという事実も、甘美なまでの香りを放ちます。
もちろんこれは”まだ”机上の空論に過ぎません。それでも、果たして私たちは、自分の家を建てる時、コストの話を度外視して万難を廃する設計をすべて受け入れることができるのでしょうか。すべてはフラクタル理論のごとく、最大も最小も同じ姿形をしているのです。

今後、自然災害に対応するための姿勢を正確にコミュニケートすることは、社会信用を劇的に高める効果を持つのではと考えています。アプリを使って毎日歩くことでトークンなどのインセンティブを得られるように、災害リスクに対応する取り組みそのものに、社会から何かしらのインセンティブが与えられるようになるはずです。災害リスクに対する本気の姿勢が、なんらかの評価方法を得て、企業や個人の信用性を表す指標に姿を変えていくことも想定できます。重要なのは、実際に行動していることを証明する必要性です。どのように真実をアクションし、事実をコミュニケートしていくのか。これまでの企業コミュニケーションの中では陰の部類にあった災害対策に対して、全く新しい視点でのコミュニケーションデザインが求められる社会の幕開けだと考えています。

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