FUKAIRI

市場へ行く。

フカイリの市場価値はあまり理解されない。もちろん、がっちりあると考えている。じゃなければ、こんなに仕事に没頭なんてしない。たくさんの相談に乗っていない。こんな小さな会社が考えることではない、という人もいるが、社会に存在している以上、規模の問題じゃなくちゃんと向き合うべきだと思ってきた。マネーは抜きに語れないけれど、それ以上に「価値」を見つめるべきだと考えてやってきた。私たちの市場は、ずっと日本だった。パリのビジネスに携わったこともあるが、日本のために、だった。これからも日本でビジネスをすることに変わりはないが、”それだけ”でいいなどとはさっぱり感じない時代になった。日本はいろいろ言われる国家のひとつだ。沈没するとまでは思わないが、「長らく勝てない古豪」くらいにはなる。というか、すでにそう。頑張っている会社はたくさんいるし、足掻いている人もたくさんいる。世界的に”表現として日本を極める”ことの重要さは全く色あせることはない。長きに渡る歴史を有する現代国家として、それが通用しないなどと考えたことはない。これは、どの国も同じ条件だ。歴史を理解し、今に生きる技術に研鑽していくことは社会責任に違いない。なぜ「長らく勝てない」のか。その理由は、これまで外で挑戦してない我々には語れない。所属もしていない大企業の努力を批判することなどもちろんできないし、してはならない。官僚としてがんばっている人たちを否定もできない。

かつては、みんなが日本という市場にやってきた。どんどん店を出していった。日本が世界の経済首都のひとつだった時代は、確かにあったのだと思う。そもそも私たちはその残滓の中で産声を上げた企業にすぎない。今でも市場は活況だけど、店があまりやってこなくなった。そして今は、そういう時代ではなくなった。魅力ある市場は、日本の外にどんどん増える。新しい市場を見にいく。その土地で私たちが役立つための方法を模索するために、行動する。我々が有する情報加工の技術と、高い(と信じる)言語・文化理解能力を生かせるフィールドをどんどん拓く。何らかの事業化にとりかかる。マネタイズできるかを先行させたら体が重くなるが、冒険心を優先させれば心は軽くやれることは無限にある。そういうマインドがすでに我々にはある。2018年から海外展開には少しずつ着手していた。2019年の夏には、香港かロンドンにサテライトオフィスを作り、現地企業へのアプローチを開始する予定だった。しかし状況は急変し、ロンドンはブレグジットで揺れに揺れ、香港は一種の内紛に見舞われている。さて、これはまいったと思っていたが、ここにきて思考が変わった。台風が大きかったかな。日本の外に流れる海流はダイナミックなのだと考えるようになった。結局は、どっぷり日本マインドで「あそこはヤバいから」とか「まだまだ機を見出すのが難しいな」と口実をつくり、愚痴り、行動していない理由を作り上げているだけだということを自覚するにいたった。世界が夢見る理想郷のひとつである日本から見れば、「外」の日常は嵐なのだ。

昭和中期、みんな生きるため、豊かになるために地方から東京に人が出て行ったが、これからは、さらに外に出ていく。日本にフィードバックできることを増やすことが大切になる時代。東京の人たちが「地方は本当にいい場所で飯もうまくて人もいい」と話していることと、世界の人たちが東京に来て「最高の人たちで飯もうまい」と話していることが最近妙にオーバーラップして聞こえる。

店を出しに、市場に行く。

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